夜の街をぬうように Take me away。

 今日は凄く眠いです。大体いつも眠い。

 

いつもよりタイトルが長い気がします。でも、ROUTE23から抜粋すぎてもうなんかブログタイトルだけで1曲いけるんじゃない?ってなってますね('ω')ハハハ

 

昨日は面接でした。今までの自分は「どうせ落ちる」って気持ちで挑んでいたんですけど、最近は自分を必要としていて自分の提示する条件とマッチするなら受かるはずなので「本気出せば受かる」と思ってチャレンジしてます🐔実際、めっちゃ意見が合って話が盛り上がった面接があって「あ、ここ受かるな」って思っていたら受かりました(辞退しました)

 

昨日受けたところは思った以上に堅くて、電話取次も多く、上司の偉そうさが滲み出ていたので、正直落ちたい。

 

なんか、色んな人に敬語なのに年下の社員に向かってたまにタメ口になる上司いるじゃないですか。そういう人って、二択で【俺の方が偉い】からか【気さくだからフランクになってしまった】なんですよね。本当は、きっと、全社員に対して敬語が良いと思います。

 

昨日の面接官は本当に前者で(悪口ではないです)部下に対して「これやっといて」って頼むシーンも見ちゃったし本当に偉そうというか、まあ、実際偉いんですけど、偉いは傲慢の免罪符にはならないんですよ('ω')ハハハって感じです。面接に来た人の方が立場が低いかもしれませんが、あくまで初対面なわけなのでもう少し自分に好印象を与えたいと思わないんですかね、謎です。

 

私なら面接に来た人に対して「これから一緒に働くかもしれない人だ〜」ってわくわくするんですよね。まあ、それもそれで謎ですかね。

 

結局、一限分だけ抜けて学校に帰りました。(出席日数やばいからね)

 

今日は3回目のワクチン接種なので早退です。副反応が出たら明日は休むしかないかな。2回目のワクチン接種の時に38℃出たので流石にそうなると授業は当然、日常生活に支障をきたすんですよね(~ 'ω' )~

 

最近は紫の君が大好きです。元々、好きな人や推しの名前を出したくなくて、あだ名というか自分の中での呼び方を決めています。決まって、原型が無くなるレベルのあだ名を。先生は、きっとあの人を先生と呼ぶ人はいないし、紫の君は、模範的人生では推しにそんな名前付けませんよね。

 

ちゃんと由来があって、源氏物語の「薫」から来ています。紫のイメージで、最終的には女に執念を抱くことから、今は違ってもいつか私に執念を抱く日が来るといいな、という気持ちです。最後はある意味、恋慕相手から捨てられるというか見離される薫ですが、紫の君を私から捨てることはないと思うのでそこはご都合主義、ご愛嬌。

 

今度、能【定家】を見に行きます。ね、ここで紫の君に【逢いに行く】なんて書いたら紫の君は薄ら笑いを浮かべるのです。毎度、「見に行くことを会いに行くと…うーん、なるのですかねえ?」とおっしゃってますもん。なので、模範の私は、紫の君に、紫の君を「観に行く」と伝え、裏では、紫の君に「逢いに行く」と形容します。強かな女は賢しくて疎まれますかね。いや、同じ、いや、それ以上の教養のある貴方ならきっと薄ら笑いを浮かべますね。

 

自分が恋慕している人は皆既婚者なので典型的な笑えないくらいの横恋慕です。でも、「推しが結婚した!」ってスキャンダルには遭遇しないのでその点は嬉しい。でも、「心が誰に向いている」かはわからないので、不倫やファンに手を出すことは全然有り得ると思いますが、先生や紫の君には立場も名誉もありますし、きっと、それらが揺らぐ様な真似はしないでしょう。そのような真似をした時に、私は【喜ぶ】のか、【悲しむ】のか、【妬く】のか。それはそれで一興。

 

兎にも角にも愛おしいのです。遠くで見つめるのが苦しいくらいに。紫の君には今度二日連続逢える(裏なので敢えてこの表現で)ので少しはマシなのですが、先生に会う機会は無いのです。

 

夢に出てきて欲しい。

 

古くは【自分の夢に出てきた相手=相手は自分に会いたい】と解釈しました。今はその逆解釈が多いと思いますが、どちらにせよ、夢の中での逢瀬は誰も止められず、誰も咎めません。だから、どうか。

 

もう一時を過ぎましたね。そろそろ寝ないと。

 

自分自身の心が誰に向いているかもわからなくなる時があります。今はきっと、いや、確実に、紫の君に。なんだ、簡単な話ではないか、わかっているではないか。

 

二十日迄、忙しいのですが猶予がありますので、【定家】をもっと深く覚えたいです。

 

大体の流れとオチは知っていたのですが、それを生で、しかも、紫の君が出演するとなると、私の玉の緒は切れても良いのかも知れませんね。

 

うた恋い。読み返したいなあ。私の原点であり、Bibleでもありますからね。

 

妄執に苦しむと言い、解いてもらい、また妄執の墓に入る。これは切っても切れない。いや、切れても繋げる、そのような感情なのでしょうか。体験してみたい。この世には、私の知らない事が多すぎる。

 

嗚呼、願わくば、もう少し生きてみたい。

 

 

ここで締めますか、おやすみなさい。

 

 

しらのめる

 

 

時は過ぎてしまう